水の力…生命を司る者がこの世界から誰一人といなくなってしまった。
こんな事は今まで無かったからこれからどうなるのか分からない。
フォルクの事も心配だけれど、彼が大丈夫と言うならきっと大丈夫なんだと思う。
今はとにかくエアトルの事だけを考えよう…
「エアトル!」
バンっと彼の部屋の扉を開く。
途端に部屋の中から風が吹き出して来た。
「きゃ…」
カマイタチとなった風は私の腕や顔、至る所を傷つけて吹き抜けていく。
「こっちへ来るんじゃない…っ!」
フォルクよりもよっぽど苦しげに叫んだ彼の背には翼のような形をした紫色の光が見える。
その間も風が自分の体を傷つけていくのも構わず、私はそれに一瞬見とれてしまう。
「エアトル…」
ここまで来たのはいいけれど、私に出来る事って何だろう。
彼のように力があるわけでもない、ただのエルフに過ぎない私に一体何が…
こうやっている間にも風はどんどん激しくなり、彼が必死で押さえようとする力に勝ろうとしていく。
「フェリア…遠くへ逃げるんだ。もう…この力を押さえきれない…!」
その言葉と同時にいっそう強烈な風が吹き、私は吹き飛ばされる。
けれど、壁に叩き付けられようとした瞬間、風がぴたりと止み、私は誰かにふわりと抱きとめられた。
「まったく…1人欠けただけでこうなるとはな」
エアトルと同じ金の髪エメラルドの瞳…そして何より一瞬で止んだ風…!
私の記憶でそれに該当する人物といったら、
「エスナメルティ=ファーランド…?」
“指一つ動かさず嵐を呼び、瞬きすらせずに風を収める”とも言われた伝説の風の申し子。
けれど、エスナメルティ=ファーランドはもうすでにこの世にはないと…
「正解。よく分かったね、私がそうだって」
引き込まれるような優しく深い瞳の奥、鋭い光が輝く。
思わず身震いした私に、ふっと笑みを浮かべた彼はすぐさまその顔を引き締める。
「さて、この事態をどうにかしなくてはね。
私としても、エアトルがこのまま力を暴走させてしまうと多いに困る」
よく見れば、風が収まっているのは私たちを包むような球体の中だけ。
外は相変わらず風が渦巻き、全てを吹き飛ばさんばかりに猛り狂っている。
「ここにいるんだよ、いいね」
あっさりと言って、彼は悠々と外へ身を躍らせた。
身を引き裂くような風も、通るそばから収まっていく。
「しっかり気を持つんだ」
エアトルのすぐ横に立ったエスナメルティ=ファーランドは声をかけた。
「私はお前に力を貸すことは出来ない。だからこそ、真実を伝えよう…」
彼が発した宣言みたいな言葉は魔力を持っているかのように周囲の風を圧倒する。
ううん…実際に力ある言葉なのかもしれない。
私は目の前の光景から視線を離せずに、ただただ祈るだけ。
“何でもいいからうまく行って…”と
「この力はお前の祖母が、あえて引き受けていた力だ。
本来ならばお前の身の内にあって役立つもの…何も失いたくなくば、全て吸収しろ!」
初めは諭すように、最後は厳しく叱り付けるように…
この言葉に目を見開いたエアトルは、両手を握り締める。
同時に背にあった翼の形がハッキリし始め…
完全に風が収まった時にはその輝きも柔らかくも強いものになっていた。
「…っふ…」
けれど、一瞬後にはガラスの破片が光をばら撒くように翼の輝きはそこかしこに飛び散り消え去って、
地にしっかり足を付け立ちあがっていたエアトルは崩折れる。
「おっと…」
エスナメルティ=ファーランドは彼を抱きとめ、私の周りに張っていた結界も解いた。
「エアトルっ」
駆け寄ってみれば、彼は寝息を立てて眠っている。
よかった…疲れてしまっただけだったのね…
ほっとすれば気になるのがフォルクの方。
“エアトルの方が影響少ないと思うのに、これだけの事が起きたのだから”と考えていると、
エスナメルティ=ファーランドがそれを見透かしたように、優しい笑みを浮かべた。
「安心するといい。君たちの幼馴染…彼のところへは炎の先代が向かった」
「先代…?」
炎の申し子の先代…一体誰なのかしら。
エアトルたちより前の申し子で私が直接知っているのはエルアラ様だけ。
よく考えてみれば、代替わりした後の申し子は一体どこへ行ってしまうのかしら…
「我々は時代の表舞台から消えた身だからね…そうそう出てくる事も無いんだよ。
…オレもこんな事がなきゃ一生…」
「オレ?」
見た目とあまりに合わない言葉に、考えるよりも疑問を覚える。
「おっと、これは口が滑った。
あぁ、そうだ…エアトルは目が覚めてもしばらくまともに動けないだろう。
君がしっかりそばに付いていてやる事だ。いいね?」
押されるように頷いた私に満足そうに口を綻ばせた彼は、エアトルを彼の私室にあるベッドに寝かせに行く。
何だか、勝手知ったる人の部屋…って感じだわ。
「それから、私の事は黙っておいてくれるかな。
たぶん、目が覚める事には忘れている事だろうから…
彼には“申し子の力を完全に自分の物とした”という自信が今一番必要だからね」
人の力を借りず、自分の力で…という事実が一番肝心。
片目を閉じ、そう言ったエスナメルティ=ファーランドの周りに風が渦巻く。
とっさにかばった目を開いた時には、その姿は綺麗に消え去っていた。
表舞台から消えた身…
そう言った彼には寂しげな所は全く無く、むしろ誇らしげだった。
同じ力を持つ2人。
けれど、ほんの少ししか接しなかったエスナメルティ=ファーランドの方がよっぽど風のようで、
昔のエアトルを見ているような気がした。
彼もまたあんな風になってくれる日が来るのかしら…
これまでにも何度も何度も自分に聞いて答えが出なかった事。
でも、もう迷わない。どんなに時間がかかっても、そうなるまで私が彼のそばにいる。
無垢な子供のように安らかな表情で眠る彼の傍らで、そう決める。
諦めないでいれば、きっとそんな日が来るはずだから。
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