長い長い時が経った…
あの争いはほんの一握りの人間以外の記憶からは綺麗に消え去り、
今やエルディアが人間を拒む理由をきちんと知っている者はほとんどいない。
そう、エルディアはまだ閉ざされている。
国王ジョメルと王子エアトルの名の下に…
生命の聖女であり、かつては女王として治めていた人物の失踪はかつてない混乱をエルディアにもたらした。
”やらなくてはならないこと”
それが何なのかは私にも分からないけれど、私にそう告げたことは誰であっても教えてはならないような気がした。
幸い、混乱は速やかに沈静化していった。
いくら怒りと悲しみで我を失っているとはいえ、エアトルは元々エルアラ様と同じ力を持つ存在。
『心配するな。我らが聖女はまだ生きている』
その言葉だけで、波が引くように収まっていった…
でも、その“聖女”が本当にエルアラ様をさしているかどうかは、私にははっきりと分からない。
もしかしたら彼もあの子が帰ってくる事を信じていてそういったのかも…と心の片隅で思う。
それから更に時が経つ。
全てが落ち着いて見た目だけは平穏無事に見える…危うい均衡で保ちつづけられていた日々が崩れ落ちる時が来た。
「姫様。西の空が妙ですわ」
私にとって先生の一人、アスミルフが遥か遠くの空を指差して言う。
何かしら…と私も視線を向けると、確かに何かが変。
青い空に白い雲…それだけならば何の変哲もない、いつもの空なんだけれど、
その雲の陰に巨大な赤いものが見える。
「あれは…竜!?」
目を凝らせば、巨体を空に悠々と浮かべている竜の姿。
けれど、その姿はうっすらと透き通っていた。
「幻…かしら」
とても実体がある様には見えないんだけれど、幻ならどうしてこんなものが見えるのかしら。
竜に気付き空を見上げる者はみる間に増えていく。
禍禍しさだけしか感じない赤い竜。
その口が開き、カッと光が迸った後にはその姿は消え去っていた…
「一体…今のは何だったの?」
そう口にすることが出来たのは、消えてから随分たってから。
竜は畏怖すべき存在…頭では分かっていたつもりでも、改めて身に染みて感じてしまった。
「あら…赤の月が…」
アスミルフが昼でもなお見える、二つの月を見上げて呟いた。
そして…私ですら気がついてしまった。
竜の口から光が迸った瞬間、私たちを守護する月がひとつの力を失った事を…
見るからに黒く変色している赤の月。
それを見せつけられて、不安にかられた私はエルディアへと向かった。
エルディアには赤い月の守護を受けているフォルクがいる。
普段はラーガイアにいる彼も今の時間帯なら王宮内の自室に居るはず。
再び修復された、転移陣を使ってエルディアまで飛び、彼の部屋へと直進する。
ダンダンとかなり力をこめて扉を叩くと、中から『どなたです?』と声が返ってきた。
「フェリアよ!用事があるの、すぐ開けて」
「あぁ…鍵は開いてるから、入るといいよ」
遠慮なしに扉を開けて部屋へと入った私の目に映るのは、苦しげなフォルクの姿。
「ど、どうしたの。大丈夫」
慌てて駆け寄ると、彼の額にはびっしりと汗が…
「入るのはいいけれど…あまり近寄らないで…力の、セーブが出来ないんだ」
ぼぅ…っと彼の周りの空気が熱で揺らめく。
「一体どうして、こんな…」
「私が…赤い月の力を一身に受けるには…力不足だからだよ…」
赤い月の力を一身に受ける…?
「水の力の受け取り手がいなくなって…私にそれが流れ込んでくれば、耐えられないのは当然…だろ?」
「それって…まさか!」
水の力を司っていたのはトラップと…
考えるに恐ろしい結論を導き出そうとしていた私にフォルクは歯を食いしばって言葉を搾り出した。
「それよりも…エアトルのところへ。
いくら青い月からの力を受けているとはいえ、赤い月があれでは彼も私と同じで力のセーブに必死のはずだ…。
私なら…大丈夫だから」
「でも…」
何となく行きづらくてその場に立っていると、フォルクがいつになく強い調子で言った。
「いいから行くんだ!
彼にはもう君しかいないはずだ」
分かってるんだろう…?
そう言うような瞳にはじかれるように、エアトルの部屋へと走る。
“支えになってあげて”とエルアラ様は言ったけれど、本当に私で支えになれるのかしら…
何度も自分に聞いて、いつも答えが出なかった。
支え…トラップの代わりになれるつもりでいたけれど、それはやっぱり無理で…
彼にとって彼女は妹っていうだけじゃなくて、同じ力を持って生まれてきたただ一つの片翼といえるかもしれないと、
目に見えない絆みたいなものを思い知らされて、彼に会う事すら段々辛く感じる自分がいた。
あの氷のような瞳はまだ変わらないと思う。
けれど、少しでも彼が元に戻れるよう、私に出来る事があるのなら…
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