あれから百年近く経ったけれど、彼はまだ戻ってこない。
いつもと同じ日々を過ごして、後どれだけ同じ一日を重ねていくのかしら…
そう考えていた私の耳にある話が飛び込んできた。
それは、エアトルの妹…私にとっては幼馴染の彼女が試練に挑むというもの。
エルディア・エディア・ルディアの3王国の王位継承者が人間が作る成長世界へと旅立つその試練。
本来ならエアトルが受けるはずだったのに…
「ねぇ。その話本当?」
そう聞いてみると、話をしていた侍女たちが更に詳しい話をしてくれる。
「ふぅん…トラップ以外の継承者も女の子なんだ…」
「えぇ。これで姫様も女王となれば、4つもの国に女王が同時に立つことになりますわね」
そう言われても、何だかピンとこない。
私は女王の器じゃないと思ってるし、たぶんどこかの国の第2か第3王子を王として迎える形になるんだと思ってた…
悲しいけれど、継承者が私しかいない以上、好きな人と結ばれないかもしれないって事はずっと昔から覚悟してた。
あれ?でも、トラップが王位につくなら…?
そう考えて、いてもたってもいられなくなる。
だって、トラップが女王となるなら、エアトルはエルディアに縛られる事は無いわけで…
「ごめんなさい。ちょっと部屋で調べもの」
「あっ…姫様っ!」
くるっと方向転換。走り出した私に慌てふためく彼女たち。
「調べ物って一体何を…!」
「秘密っ!」
部屋へと駆け込み鍵を閉めて、さらにドレスルームに入ってまた鍵を閉める。
「ふぅ…これでいいかな…」
鏡の隅に小さく描かれた魔法陣に触れ、一言二言呪文を唱える。
これはグラフノーンとエルディアを繋ぐ、私とトラップだけの秘密の転移陣。
ポンッと放り出されるのは、彼女のドレスルーム。
ただ、彼女の場合“衣装”よりも研究資料や本の方が多いから、書斎みたいになってる。
「失礼しまぁす…」
そう小さく呟いて隣の部屋へと移ろうとして、私は固まった。
誰か他の人がいる…っ
私がいる事をトラップ以外に知られたらやっぱり大騒ぎになると思うし。
でも、一体誰がいるのかな…
好奇心がムクムクと湧き上がってきて、そぉっと扉を開いて隙間から覗いてみる。
ちょっとはしたないけど、気になるものは気になるんだもの。
最初、目に入ったのは長い金髪。
エアトルのよりもちょっとくすんだその色は見覚えあるんだけど、誰だったかしら。
背を向けたその人の向こう、トラップが足を抱えてベッドに座ってる。
ぽそぽそと何かしゃべってるみたいだけど、ぜんぜん聞こえない。
でも、もう一人の声は聞こえた。
「ですから…ジーラ王子がいらっしゃらない以上、姫様が王位継承者となるしか…」
その言葉で私ははっきりと何を話してるのか分かってしまう。
きっとトラップは試練を受けたくないんだ…
もしかしたら、エアトルと…と思った私の気持ちも急にしぼんでしまう。
例えうまくいったとしても、それはなりたくもない女王の座を彼女が押し付けられた結果なわけで…
そう考えると、心から喜べない…
「私、やだ!行きたくない!」
うつむいていた私の耳に響く彼女の叫び声。
「絶対に嫌っ!」
「姫様…!」
ヒステリーを起こして暴れる彼女を押さえにかかるその人の顔が見えた。
あれは…確か、ずっと前にこの城で迷った時にたまたま辿り着いた練習所で見かけた騎士で…
トラップから“あれがサーラだよ。将来有望な騎士ナンバー1なんだから”って言われた人。
その時の彼女の顔ってとっても幸せそうで…
そうよ。今の今まで忘れてたけれど、彼女も好きな人がいたんだ。
「嫌ったら嫌っ!」
いつもは絶対に人前で泣こうとしない彼女がこんなに嫌がって泣いてるのを見て、胸がぎゅっと苦しくなる。
「もういいよ!行かなくていいからっ」
耐えられなくなって、私は部屋の中に飛び込んだ。
「フェ…リア…?」
ただでさえ赤い目が真っ赤になったトラップとその両手首を掴んでいる彼とが振り向く。
「フェリア様…どうしてここに…」
私はトラップに近づいて彼女を掴む手を剥がした。
「…グラフノーンで…聞いたの。
トラップが試練に行くって。継承権を正式に得ることになるって」
「そんなところまで伝わってるんだ…」
すっかり脱力して、ぺたんと床に座るトラップ。
「…ごめんね」
「どうして謝るの…?」
何か憑き物が落ちたような表情で彼女は私を見上げた。
「だって…トラップが王位を継いだら、エアトルは自由になるって…
もしかしたら、グラフノーンに来てくれるかもしれないって…そう思ったの」
あの時は自分のことしか考えてなくて…。
トラップが嫌がってるかもしれないなんてぜんぜん考えもしなかった。
何て嫌な子なの、私…
「そうかぁ…フェリアって…兄さんの事が…」
ぽそっと呟いたトラップは目を閉じて頭を深く垂れた。
「…姫様…」
サーラ…彼がそっとトラップの肩を抱える。
「うん…私。行く…」
思いもよらない事に私は言葉を失う。
「フェリア…ありがとう。決心ついた」
少し腫れた目で彼女は微笑みかけ“どうして?”と口にする事も出来ない私に、
「幸せが一つ増えるかもしれないなら、やってみる価値はあるよね」
といつもの晴れやかな笑顔で答えた。
「でも、あなたは…嫌だったんじゃないのっ?」
ようやく搾り出した私の問いに対しては、
「うん…はっきり言ってまだ気乗りしないところはあるけど…
まぁ、何とかなるでしょ」
最後は自分の肩を抱えている彼をちらっと見て呟くように言った彼女。
…信じられないっ。
エアトルといい、彼女といいっ
大事なことをこんな風に“まぁいいか”とか“何とかなるでしょ”ですませちゃうところばかりそっくり!
「はぁ…何だかすっきりした」
そう言ってトラップはさりげなくサーラから離れようとするけれど、彼の手はしっかり彼女の肩を掴んで離れない。
「……サーラ?」
すぐ隣にある彼の顔を見上げるトラップ。
そんな2人を見て、何故か遠い昔に聞いた水と炎の申し子の恋物語を思い出す。
惹き合っていた2人が、運命の気まぐれか全く違う世界に分かたれてしまうお話…
全く違う世界…
試練の内容を思い出して、私はそのゾッとする考えを振り払う。
未だトラップを抱えたサーラが私に話しかけたのはそんな時だった。
「フェリア様…すみませんが、私の誓いに立ち会っていただけますか」
「誓い…?」
「えぇ、誓いです」
強い何かを秘め、鋭く光る彼の瞳に気圧されるように、私はうなずいた。
「サーラ。誓いって?」
そう言いつつ、その瞳が見えないトラップはしきりに肩の手をはずそうと躍起になってる。
「姫様」
肩から外す代わりに、トラップの手を取るサーラ。
「いえ…トラップ・N・エスナメルティ…」
彼が彼女の本当の名前を口にする。
彼女とエアトルがフレイアと名乗るようになったのは、幼い頃に信頼していた師が旅に出てしまった時。
エアトルから直接聞いたからそれは確かな話。
「え…」
そのままひざまずく彼に何か変だと気づいた彼女は、端から見てもはっきり分かるぐらいに凍り付いている。
「私はこれまでずっとあなたを慕っておりました。
そして…これからも」
しばらく目を閉じた彼は意を決したようにトラップの目を見上げる。
「私の求婚を受け入れていただけますか。
…一介の騎士に過ぎない私には過ぎた言葉かもしれません。
ですが、戻ってくる時には必ずあなたに一番近いところまで辿り着いてみせます」
それらの言葉にトラップの表情がくるくると変わる。
サッと血の気が引いたかと思えば、次の瞬間には真っ赤になってるし、目も見開いたり瞬かせたり。
彼も彼女の混乱が分かってるみたいで、返事を急ぐ素振りは全く見せないで、ただじっと彼女を見つめている。
長い、長い静けさを打ち破ったのは、彼女が消え入るように口にした、
「はい…」
とたった一言の返事。
彼は立ち上がり、彼女の指先に口付ける。
…いいなぁ…トラップって、彼がしっかりしてる…
そう思ってしまうぐらいに、この“誓い”は素敵だった。
私も誰かに…出来ればエアトルにこうやって誓ってもらえる日が来るのかしら…
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