■ 懐かしき日々〜心癒す水 ■


 ファエルの手紙を渡した相手が、奥へ引っ込んでから間もなく、女王との謁見は叶った。
 エルディアの王妃…かつては女王として、その名を轟かせた女性とはどんな人物なのだろう。
 “噂を聞く限りでは、とんでもない女傑だな”
 決して口には出来ない感想を胸に抱きつつ、最後の扉は開かれた。

「ようこそ、エルディア王宮へ」
 跪いた私にすっと差し伸べられたのは“元冒険者”という話からかけ離れた、白く細い手。
 踊りにでも誘うようなその手に、思わず手を重ねた後になって驚いた。
 “右手…?”
 王妃の差し伸べた手は左ではなく、右。
 だから、自然と左手が出てしまったのだろう。
「あ、あの…」
 顔を上げた目の前に現れたのは、鮮やかな赤い髪。
 私の動揺に気付いてないのか、それとも気付いていて見て見ぬふりをしているのか。
 そう思って、どうすればいいのか悩んでいた私だけれど、
「大体の話は手紙で分かったわ。こちらへいらっしゃい」
 笑みを浮かべ、振り返ったその人の瞳を見て、人違いだと気づいた。
 
 …そうだな、水の申し子である王妃があの人な訳はない。
 あの人は…血の様に深く赤かった…
 目の前にいる王妃の涼やかさを感じさせる翠とはまるで違う瞳だった。

 そこで、急に変な気持ちになった。
 “何故…こんなに残念に思っているんだろう…?”

 手を引かれるままに連れてこられたのは、さほど大きくない部屋。
 扉を閉めてすぐに、私を振り返った王妃は言った。
「まずは最初の質問から答えると、あなたの妹は―」
 “こんなに早いなんて…やっぱり…”
 嫌な予感に、私は岩にでもなったかのように固まった。
「少なくともこの大陸にはいないわ」
 予想通りの答えに私が唇を噛むと、王妃は続けて言った。
「もう少し、早く来てくれれば、かけた魔法の痕跡を追って、別の大陸にいても何とかなったのでしょうけれど、
 ここまで経ってしまうとさすがに無理だった…力になれなくてごめんなさいね」
 申し訳なさそうに謝る姿に、私は慌てて首を振った。
「とんでもない。こちらこそ無理なお願いをして…」
 そう言ったものの、ここに来れば手がかりが得られると思っていただけに、気分は沈んだ。

 開いた瞬間から配られていった物の代わりではないだろうけれど、おもむろに伸ばした私の指を掴んだ小さい手。
 そのまま口に持って行かれそうになって“どうしたらいいのだろう”と困り果てた。
 きつく握り締める指を外そうとすれば壊してしまいそうで―
 “かじられたら痛いのかな”なんて思いながら、どうしても外すことが出来なかった。
 もしかして、もう2度と会う事はないのだろうか…
 もう、2度とあんな優しい気持ちになることは…

 そんな考えを振り払って、私は尋ねた。
「では、他の地にいるわけですね」
「えぇ…おそらくは」
「分かりました。ここを捜さなくてもいいと分かっただけでも大きな収穫です」
 そう、これだけ大きな大地が範囲から消えただけでも、来てよかったんだ。
 自分に言い聞かせて「ありがとうございました」と、出て行こうとした私を王妃は呼びとめた。
「あなた。本気で他の大陸全てを捜して回るつもりなの?」
「はい。それ以外に方法がないのなら…」
「あなたの妹を見つけたのが、誰かも分かっていないのでしょう?」
 確かに、嵐に巻き込まれた場所より一番近い陸地にいると思っていた妹はおらず、
 近くの村で聞いても、それらしい赤ん坊を保護したという人もいなければ、見たという人すらいなかった。
 そう、誰も見ていない…
 あえて考えないようにしていた、最悪の結末。

 “それだけは嫌だ―”

「あぁ、そんな顔をしないで」
 出さないようにしたつもりだったけれど、きっちり顔に出てしまったらしく、そっと頬を撫でられた。
「無事なことは間違いないと思うわ。だって、強力な魔法をかけたのでしょう?
 その欠片も追う事が出来ないのは、誰かが解いて連れていったって証拠。ついでに、少なくともそれは悪人ではない」
「何故ですか?」
「だって、それだけの力を割くメリットがないし、あなたの魔力を考えるとまず解けないわ。
 普通なら触らぬ神にたたりなし、で放置するはず。つまり――」
 そう言って、王妃は相好を崩した。
「あなたの妹は善良な…それも力ある誰かに保護されたって事ね。
 見つからなかったのも、もしかしたら独自に家族を捜しているからなのかもしれない。
 それなら、下手に動き回るより、あなたの居場所を広めていった方が見つかる可能性が高い、と思うんだけれど?」
 『ん?』と首を傾げた王妃に顔を覗き込まれて、私は戸惑った。
 一体、何が言いたいんだろう?
「う〜ん。分からないかしら…」
「は?」
 手紙には―とかどうのこうのとぶつぶつ呟いていた王妃が、チラッと私を見た。
「あなたさえよければなんだけれど、試験を受けてみる気はない?」
「試験…ですか?」
 ますます、訳がわからなくなってきた。試験って一体何の試験なのか。
「そう。騎士団の入団試験。自分で捜し出すというなら無理にと言わないけど、ここで妹さんが来るのを待ってみない?」

 その瞬間、手紙を差し出した時のファエルが頭に浮かんだ。
『全てがうまく行く事を祈るよ』
 いたずらを思いついたような、楽しげな笑み。
 あの時はその直前に大笑いしていた名残だと思っていたけれど…
 “あいつ…こうなる事を予想していたな!”
 手紙にもきっと色々と書かれていたんだろう。
 いや、もしかすると、私がここに辿り着くまでの間に、別の手紙を送っている可能性もある。
「…何て用意のいい奴なんだ…」
 思わずうなった私に、王妃はもう一度「どうする?」と問いかけた。
 前の私なら、一も二もなく頷いていたはずの申し出。
 でも、今はまだ…
「ご存知の通り。今の私は剣を振るえません。もちろん訓練を重ねてはいますが…まだまだです。
 ですから、お受けするわけにはいきません」
 力の入らない右腕を押さえて言うと、王妃は困ったような笑みを浮かべていった。
「それなんだけど、私なら治せるのよ」
「え?」
「伊達に生命の聖女なんて呼ばれているわけじゃないんだから」
 あ…あぁあ、言われてみれば、その通り。
 強い癒しの力を持つからこそ…水の申し子なのであって。
「失礼しました!」
「いいのいいの。それで、やってみる?」
「…あの。やはり、跡形もなく治ってしまうのでしょうか?」
 こんな事を聞くのも厚かましいと思いつつ、おそるおそる訊ねた私に、王妃はちょっと考えるそぶりを見せた。
「結局はどれだけ力を込めるかの問題だから…その気になればどんな風にも治せるけれど、何故?」
 疑問に答えると、王妃は小さく頷いて、快諾してくれた。

 砕けた骨が音を立てて戻っていく感触に、かすかな痛みのような物を感じながら思った。
 待ち望んでいたところに辿り着いたとしても、手放してしまった物がこの手に帰ってくるまでは――




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