■ 懐かしき日々〜背を押す風 ■


 エルディアへ来る前の事。
 私は嵐に巻きこまれてしまった事がある。
 遠く他の大陸に住む父方の祖父母に、生まれたばかりの妹を見せに行こうとしたときの事だった。

 父も母も嵐を少しでも静めるため儀式を行っていたから、部屋にいたのは私と妹の2人きり。
 強風吹き荒れ、雷雨の叩きつける船の中。
 まるで、太鼓の中にいるかのごとく、騒がしい中でも眠り続ける豪胆な妹に保護の魔法をかけて…
 両親のいるこの船が沈むとは思えないし、
 もし沈むような事があっても、その時は空へ逃れればいいだけの事なのだけれど。
 ただ、自ら身を守る術をもたない妹にだけは、自分が守らなくてはと思っていた。

「いっそ、船ごと浮かべた方が楽なんだけどな」
 1時間そこそこであれば、これだけの質量の物であっても持ちこたえる自信はあるのに…
 あまりの揺れに、窓の外を眺めてそんな事を考えてみた。
 “父上と母上にかけあってみるかな”
 妹を抱えなおして、部屋の外へ出ようと扉に手をかける。
 ミシッ―嫌な音が聞こえた。
「え…?」
 振りかえった目の前でさっきまでは壁だった物が砕け散った。
 咄嗟に腕の中をかばった私の肩口に、壁を突き破った何かがぶつかり―
 意識はそこで途切れた。

 右肩の耐えきれない灼熱感に意識がじわじわと現実へと引き戻される。
「…つ…っ」
 目を開くとそこには父と母がいて…
「よかった…目を覚ましたのね」
「母上…」
 涙ぐむ母へとぼんやりした意識のままで手を伸ばそうとして愕然とした。
 腕が動かない…!?
 “一体何故”と思った直後、自分が気を失う前の事を思い出した。
「そうだ、私は…」
 右肩を中心に身体が上げる悲鳴と、上から下へと一気に血の気が引くような感覚。
 それらに眩暈を覚えながら、無理に身を起こした。
「まだ起きてはいけませんよ。その怪我も決して軽い物ではないのですから」
 優しく左肩に触れた女性が怪我の状態を事細かに教えてくれ、ショックを受けた私は叫びそうになった。
 “これまで私がしてきた事はなんだったんだ…!”
 けれど、その言葉は喉で止まり、口から出たのは自分の物とは思えないうめき声。

 “救ってくれたこの人の前でだけは言ってはならない、命が助かっただけでもマシだったのだろうから”

 そんな風に考え、喉に詰まった物を奥へ押し戻し、少し冷静になって部屋を見まわすと、
 父と母、それにこの女性の3人しか見えない。
「あの…妹は…フループはどこに」
 途端に表情を曇らせる両親と女性。
 “まさか…”
 焦燥感に押され、私は身を乗り出すようにしてもう一度問い掛けた。
「教えてください。フループはどうしているんですか?」

「…分からん」
 長い沈黙の後、父が言った。
「私が知らせを聞いて行った時にはお前しかいなかった。恐らく、船室に開いた大穴から、外に放り出されたのだろうと…」
 母が泣くのをぼんやりと聞きながら、ともすれば真っ白になりかける頭の片隅で、冷静な部分が声をあげた。
『まだ望みはある。かばった瞬間、あの時に助かっていたとするなら、彼女は無事だ』
「フループは…」
 カラカラに乾いた口から掠れた声が漏れた。
 そう。彼女には思いつく限りの保護魔法をかけたはず。
「例え海に投げ出されたとしても、呼吸を阻まれる事も、体温を奪われる事も… そして、沈む事もなく、陸地に辿り着くはず。
 ただ、トレースをかけておかなかったのが私の失敗です」
「サーラ…!」
 母の涙交じりの声…問うような響きに、私は力をこめて言った。
「きっと、無事です」


 小さな温もり―腕に抱いた時、涙が出そうになった。
 こんなにふにゃふにゃで、頼りなさそうなのに…
 でも、この小さな手に山ほどの幸せを包んで生まれてきて…私もその一欠片を分けてもらった。
『赤ちゃんは握り締めた手に幸せを掴んで生まれてくる。自分と皆の分と―』
 昔は退屈でたまらなかった、ミズ・コルンブルーの言葉の通り、確かにあの子は心に温かいものを運んで来た。

「捜しに行くって、何を考えてるんだ!?」
「ダメよ!危ないわ!」
 カティーとティナが無謀だと言って、必死に引き止めるのに、彼は無言で首を横に振った。
「何で…なにもあなたが行かなくても」
 離してしまったら、すぐにでもいなくなってしまうと思っているのか、ティナは服の裾を握り締めている。
 彼女が行かせたくない理由は、危険だということばかりではないのだろうけど。
 何せ、彼の中に住まう思い出の天使は“あの時”から同じ。
 相変わらず、細かいところは思い出せないらしいけれど、やっと思い出せたと教えてくれたのは「赤い髪だった」とだけ。
 その程度しか覚えていられないような相手なのに、どうして「本気」だなんて言えたのか。
 “でも、入る余地は、まだなさそうだな”
 そう思って、目の前の3人のやり取りを、ただ見ていた。

「あの時、私がもう少ししっかりしていれば、妹は今、ここにいた。
 生きていることは間違いない…と思う。なら私のすべき事は一つ。彼女を見つけ出す事だ」
「剣を持てなくなった君にそれが出来ると思っているのか?
 外に出れば、危険な事もたくさんあるだろう。そう、今回の原因のように」
 私の言葉に彼の顔がわずかにゆがむ。
「いつも魔法に頼ってばかりもいられないという事も。危険なのも分かっている」
 “危険も承知で、誰かを思い守る事”
 自分の事だけしか見なくなっていた彼は、いくつものきっかけを経て、そんな気持ちを持てるように変わっていった。
 …変わっていったのに、彼は利き腕と、その守るべき妹を失ってしまった。
 今の彼の右肩は砕け、腕はただそこにぶら下がっているだけでほとんど使い物にならない。
 ましてや、彼が目標にしている騎士になる事など…
「見つかるかどうか分からないんだろう?手がかりもなければ、心身ともに痛手を負っている君が…無理だ」
「心の痛手と言うのは、騎士になれないという事か?」
 長年抱きつづけてきた夢を諦めなくてはならない事実を、乗り越えるには、まだ早いと思っていたから、
 さらりと言ってのけた彼に、全員が度肝を抜かれた。
「私には左腕もある。もちろんまだぎこちないが、隻腕の騎士がいないわけではないだろう」
 くっと片頬を上げ、その腕を持ち上げた姿に私は思わず吹き出した。
「ファエル!」
 カティーとティナが不謹慎だと言わんばかりに怒鳴っても、私の笑いは止まらない。
「悪い…けど、この諦めの悪さ…さすがだな」

 変わるきっかけだったその目標。
 片腕を失ったと知った時、私は彼が再び自棄を起こすのではないかと密かに気にしていた。
 けれど、自棄を起こすどころか、それでもなお目標にし続けているなんて…
 そこまでの決意を持っているなら、私も友人としての助言を与えるべきだな。
 自分が立場的に持ち得る物の一部だけれど。
「サーラ。君の妹に関して手がかりを得られそうな人物を、私は一人だけ知っている」
「何だって」
 ぐっと掴み掛かられそうになるのをすんでの所で避け、私は彼に言った。
「恐らく君も一度は頭に思い浮かべた人物だ。けれど、ある理由で会う事を諦めた―」
「エルディア王妃!」
 叫んだ彼に、もっともらしく頷いた私は、1つの手紙を渡した。
「行ってすぐに会えるような相手ではないが、エルヒュリア王子である私の手紙があれば別だ。
 後は…君次第だ。全てがうまく行く事を祈るよ」
 そんな風に、運次第と言わんばかりの事を口にしながら、私は確信していた。
 “きっと、うまく行く”




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