■ 懐かしき日々〜灯る炎 ■


 初めは自分の足元、正午の光に凝る影のようだった。
 いつの間にか―――
 伸ばした指先さえ見えないような、一つの切れ目もない闇へと変わっていた、それ。
 もがいて、宙へと手を伸ばしていた自分に、くすくすと笑う声が届く。
「そんな手を伸ばして…何が欲しい?」
 ――何も…ただ、ここから抜け出したいだけ
「なぜ?」
 ――ここは寒い…このままじゃ冷たく凍ってしまう
「温もりが欲しい?」
 ――そう、ここに1人でいたくない
「それなら誰かを連れて来ればいい。その手につかんだ者を引き寄せれば」
 低い笑い声が闇の中でさざめいて消える。
「簡単な事よ。ほら、今だってお前のかたわらに…」

 その声に、ぼんやり浮かび上がる、生白い身体。

「今までに何人、引きずり込んだ?打算に満ち溢れたいたわりの仕草。心にもない優しい言葉」
「何も知らぬ、善良なものたちを」
 すぐそばから聞こえていると気付いた自分に、むくりと起きた女が指を突きつけた。
「お前が生み出した自身の闇に―――」

 悲鳴を押し殺して跳ね起きた。
 それでも、あまりに勢いよかったのか、隣でもぞりと動く気配がした。
「どうしたの?」
 声に答えず身支度を整え始めると、いらいらした声が投げつけられた。
「どうしたのって言ってるのに…っ」
「…嫌な予感がする」
 短く言うと、彼女もあちこちに散らばっていた服を身に着け始めた。
「あなたの予感ってよく当たるものね」
 さっきまでの苛立ちが嘘のように、笑って…


「相変わらず、荒んだ生活してるね」
 踏み込むと同時に、声もあげずにその場から逃げ去ったのは女性。
 すぐ横をすり抜ける時にふわりとくすぐる花の香り。
「何の用だい?」
 見送って言った彼の、表情というものをまるで感じない顔に、内心ため息をついた。
 “これじゃ、まるで…”
 思い浮かんだのは私の種族と敵対する、魔族と契約し、自分の欲望には忠実な種族。
 それと同類のダークエルフ…

「今日もサボったんだろう?ミズ・コルンブルーが君の事を探していたよ」
「勝手に捜させていればいい。オレには関係ない」
 ばさりとシャツを肩にかけた彼は、そのまま外へ出ようとした。
「ちょっと待った」
「まだ用があるのか」
「用ではないけど、何で君はそんな―」
 そこまで言った私を、彼はものすごい形相で睨み付けた上で、肩にあった手を払った。
 こういう行動にしても“こんなじゃなかった”と思ってしまう。
 かつての彼は面倒見のよくて、人の話はとりあえず全部聞くやつだった。
 直接の助力は無理でも、他に力になりそうな相手を教えるぐらいの事は当たり前で、頼りにしていたというのも多くて。
 …今ではその片鱗すらも見えないが。
「誰も彼も…どうしてこう人のやることに口を出したがるんだ」
「カティーもティナも心配していたよ。どうしたんだろうって」
 2人の名前を出すのはまずかったのかなと思ったものの、言ってしまった後ではどうしようもなく。
 見る間に目を三角にした彼に私は怒鳴りつけられた。
「余計なお世話だ。いいから放っておいてくれ!」

 森の中、通いなれた道を歩きながら、オレはやり場のない怒りを感じていた。
 荒んだ生活?あぁ、何度も言われたさ「らしからぬ行動だ」ってね。
 そんな事自分でも分かってる。
 分かっているけれど…ああでもしなければ、狂ってしまう。
 身体の奥底から嫌でも沸き上がってくる衝動。
『開放しろ…』
 そう迫ってくる声に突き動かされてしまえば、「自然を捻じ曲げる行為だ」と止められる。
 しかし、止められたからと自然に消えるものでもなければ、押さえることも出来やしない。
 自分の意思とは全く関係ないところで、一方的に注ぎ込まれる“何か”に、
 “それはダメだ”
 繰り返すだけで、どうすればいいのかなんて誰も教えてくれない。
「…オレに、どうしろって言うんだよ!」
 荒れる感情そのままに、魔力の塊を巻き散らした。
 途中で放り出すぐらいなら…ただ止めるだけなら、最初から構わないでくれ!

「きゃ…」
 魔力弾がぶつかった木の1つから、誰かが落ちてきた。
 まさかそんなところに誰かがいると思わなかっただけに、小さな悲鳴でもギョッとした。
「あ、だ、大丈夫?」
「あいたた…」
 昼寝でもしているところにぶつけてしまったのだろう。
 受身も取れずに落ちてしまったらしく、腰をさすっているその人は女性だった。
「ご、ごめん。その。誰かがいると思っていなかったから」
 しどろもどろになりながら弁解していると、
「そんな力の使い方するもんじゃないの…っ!」
 彼女は勢いよく顔を上げ、オレと目があった瞬間に目をまんまるにした。
「え?」
「あ…うん。その、知り合いに似てる…」
 俯いて、ごにょごにょと不可聴域に入りかけの声で呟いている。
 こんな反応を何度か見た事がある。
 知り合い――というのは、偶然を装った嘘で…
 “…ふぅん、そういう事か”
 妙に納得した頭で、ぺろっと唇を舐めた。

「怪我はない?」
「怪我…」
 落ちた時の音が軽かったから、てっきり自分より小さいと思いこんでいたんだけれど…
 立ちあがってみると、彼女は意外に背が高く、見上げる羽目になった。
 予想外続きに目をこすっても、幻覚というわけではなく、確かに高い。
 いや、確かにオレはまだチビだけど、それを差し引いても…
 “170はあるなぁ…”
 まじまじと見つめるオレの視線に気付いてないのか、
 訝しげにこちらを見るわけでもなく、身体をはたいていた彼女は大きく頷いた。
「ない」
 あげられた顔に、違和感のような物を感じる。
 改めて見ても、飾り立てているわけでもなければ、特別美人な訳でも、逆に不細工なわけでもない。
 一体どこが普通じゃないのか、思った自分でも分からない。
 けれど、それ以外にも興味を持っていたオレは言った。
「本当にごめん。お詫びと言ったらなんだけど…すぐそこにオレの家があるんだ。お茶でもどうかな?」
 無邪気さを装ってにこりと笑って言えば、大抵は断らない。
 当然、彼女も例に漏れず、二つ返事でついてきた。

 きょろきょろと落ち着きなく家の中を見渡すその姿。どうやら思っていたよりも若いらしい。
 外見と中身が合ってないって感じ…って、それはオレもそうか。
 他の皆に比べて、幼く見えるのは自分でもよく分かっている。
 “警戒心をあおらない”…分かっていて、それを利用しているのはオレ自身。
『引きずり込むのは簡単な事』
 全くその通り。
 初めの内は嫌悪していた事でも、最近では欠片も心が痛まない。
 今だって―
「ねぇねぇ。君ってよくここに来るの?」
 声をかけられて、ぴたりと手が止まった。
「え?あ…まぁ」
 曖昧に答えて、ふっと思い出した。
 触れただけであらゆる物を切り裂くナイフのように、時を経るごとに鋭さを増していく力。
 気を抜けば、無尽蔵にあふれ出て、あの時は、ひたすら押し込めることばかりを考えていた。
 そばにいるみんなを傷つけるのが怖くて、誰にも会いたくなくて、ここで隠れるようにひっそりとしていればいいと―
「ふぅん…結構独立意識あるんだ」
 まさか、そんな風に言われるなんて。
 思わず毒気を抜かれ、真面目に茶の用意をしだした自分に苦笑い。
 “いつもなら、すぐに口説くのにな”
 そう、まるで見知らぬ誰かなら、そばに居ても怖くない。
 傷つけて、失うかもしれないという思いがないから…

「どうぞ」
「ありがとう」
 花びら一つ浮かべた香茶に、頬を上気させた彼女は笑みを浮かべた。
「ねぇ、これってローズヒップティーよね」
「もしかして、好みじゃなかったかな?」
 隣に座っても全くの警戒心ゼロで、気が抜ける。
 …こんなのっていたか?
 今までは、断りなく座った時点で、何かリアクションがあるものだけど、彼女にはそれが全くなく、
 もしかしたら、知り合いと似ているというのも、本当の事なのかもかもしれない。
「ううん、そんな事ないよ」
 くるくると匙で掻き回して、ふーふー吹いて冷ましているところなんて、オレよりよほど子供っぽい。
 “いや、そうじゃなくて、安心しきってるからそう見えるんだ”
 純粋に何の曇りもなく、寄せられる思い。
 例え、それが他の誰かに向けられている物だとしても、結構心地よかった。
 ただ、そんな風に思う端の部分で、素直になれない自分もいた。
 “引っ掛ける相手間違えたかな?”なんて―


「オレ…さ」
 うっとりと目を閉じて眠りたくなるような沈黙。それにこれ以上浸っているのが悪いことのように思えて、言葉が出た。
「あんたが言った“そんな力の使い方するもんじゃない”っての…色んな奴に何度も言われてるんだ」
 きょとんと見返した彼女に、何もかもぶちまけてみたい気分だった。

 だけど、全部言ったら、どんな反応が返ってくるだろう。
 やっぱり、他のやつらと一緒で頭ごなしに叱り付けるのか。

 そんなことが頭をぐるぐる回ってる間も、口は止まらない。
「こう…何か押さえられなくてさ。どうしても耐えられなくなると…その。他にはけ口を探して…って繰り返してる。
心配してくれている友人にも当り散らして、それじゃいけないって自分でもわかってるんだ。
分かってるんだけど…どうしたらいいのか分からない」
 会って間もない相手に、何でこんな話してるんだろう。
 …じゃなくて、自分でも訳が分からないんだから、いきなりこんなこと言われた方はもっと分からないだろって!
「…っ」
 ぐちゃぐちゃになってきた頭を抱え込むと、彼女はそっと抱きしめてくれた。
「どうしたらいいのか…知りたい?」
 理解されたら理解されたで、いつものように『どうしてそんなことをするの!』と言われるかと思っていたのに…
 
 これまでとは違う答えを示してくれそうな。
 そんな予感がして、すがりつくように頷いたオレに、彼女はそっとささやいた。
「守る相手を見つけなさい。
 誰でもいいわ。家族でも、友達でも…好きな人なら誰でも」
 “あなたは、誰かを守る騎士になるの”
 そう続けられて、思わず顔を上げた。
「オレが、騎士に?」
 何かの悪い冗談だろ。
 この、オレが!
「嘘じゃないわよ。あなたならなれる」
 例え、押さえられなくても、いい方向に向けられる―
 言葉だけ聞けば、からかいだったり、ただの気休めだと思っただろう。
 でも、彼女の顔は至極真面目なものだった。
「…あんたが言うなら、頑張ってみようかな」
 不純な動機かもしれない。でも、今までよりは―
 誰かを傷つけ、踏みつけて、自分を守るよりは、遥かにマシだと思った。
「大丈夫。私が保証してあげる」
 微笑んだ彼女に手を伸ばしたその時、異変は起きた。

「あらら…時間みたい。迎えが来ちゃった」
 家の中に突然現れた光を見て彼女は呟いた。
「時間って…」
 呆然としていると、彼女はその中に一歩足を踏み入れた。
「お茶ありがとう。おいしかった」
「待って!」
 引き止めたものの、どう言えばいいのか思いつかなかった。
 何もかもがいつもと違う。こんな事は…初めてだ。
「ん…?」
 光の向こうからかすかな声が聞こえ、彼女はそちらを向いた。
 きっと、早くこいとかそんな事を言われてるんだろう。
「名残惜しいんだけど、そろそろ行かなきゃ」
「オレ…」
 ぐっと手に力をこめて言った。
「オレ、あんたの事好きだ!」
 少し目を見開いた彼女の返事は「私もよ」
 身を翻して、光の中に溶け込む彼女をオレは追いかけかけて、立ち止まった。
 “迎えに来た誰か”の姿が見えたから。
 更に頭一つ分ほどの背丈があるそいつは、彼女を軽々と抱き上げていて…


 闇の中、静かに―それでいて冷たく吹きすさぶ空気を切り裂いた一閃。
 逆光に見えたのは、真っ赤に燃え上がる焔を纏った人型。

 ――火の粉が舞い落ち、自分の胸の中で徐々に広がっていく。
 “負けてられるか…!”


「いきなり更正の道とは、君も気まぐれだね」
「別にまるっきり止めたわけじゃないさ。減っただけ」
 構えた剣で人形を切りつけ、飄々と言い放つのに複雑な思いだった。
 “嫌味をこめて言ったのに…”
 何の心境の変化か、全てにおいて変わった彼。
 確かに、減っただけなのは間違いない。けれど、以前と比べれば20が1になったようなもので、その差は大きくて。
「一体何があった」
「知りたいか〜?」
 頷いた私に、彼は意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「本気で惚れた女に振られた」
「はぁ!?」
「驚いただろ。守りたいって思う相手がこのオレに出来たんだぞ」
 くっくっくと意地の悪い笑みを見て、背筋がぞっとした。
 “…おい。この笑いって・・・”
 昔はよく見たこの笑顔。これを見た後は大抵“何か”が起きた。
 誰だか知らないけど…命知らずがいたもんだな。
 言いたくなったのを無理やり押しこめて、私は問いかけた。
「誰だよ、それ」
「うん?誰って…あれ?」
 首を傾げた彼に、私は違和感を感じた。
 思い出そうとしているのに、思い出せないといった感じに眉間にしわを寄せるその様子に。




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