少女の兄と幼なじみとが溢れる血を止めようと激しい口調で言いあっていた。
今いる中でここまでの傷を癒す力を持つのは少女だけ。
もちろん、王宮まで戻れば治せる者はいる。
だが、彼女を連れ出す事はもちろん、誰かが治癒術師を連れに飛んだとしたとしても、
結界内であるここで転移術を使うのはリスクがあまりにも大きすぎた。
「…剣を抜く」
そんな中での決断。
この剣は持ち主の血と力を注ぐ事により、更に鋭さを増す魔剣。
つまり、両方を貪欲に吸い上げる事の出来るこのままの状態にしておけば、
いずれは剣の重みだけでその身体を裂きかねなかった。
「しかし、それでは失血…」
「このままにしておくよりマシだ!」
幼なじみの言葉を遮り、彼は言った。
“そんな事…この私が許さない”
「押さえてくれ」とだけ言い、剣に手をかけた彼はそれを一気に引きぬいた。
噴き出す血は鮮やかな赤。
それは血色の瞳と言われた少女の沈んだ赤より明るく彼らの目を射った。
トクン…
心臓が何とか動こうとするたびに赤が白い床を侵食していく。
本当なら命を繋ぐための鼓動。しかし、今は全くの逆効果でしかない。
広がる血溜まり。流れ出る生命の水。
“失う?私があの方を?”
自覚した時、何かが弾けた。
「…ぃ…」
今の今まで沈黙を続けていた彼が小さく声を出し、一瞬後には彼女の胸倉を掴み上げて叫んだ。
「今すぐここの結界を解け!」
らしからぬ語気の荒さに、血止めを試みる2人さえもが彼を見た。
“やっぱり選ばれるのは私ではない”
二つの思いの狭間で揺れていた彼女は、その瞬間に傾いた。
「ふ…ふふ…あはははは…!どうして…?私の願いが叶おうとしているのに」
絶望で狂ったように笑い続ける彼女に、彼は剣を付きつけた。
「あの方が命を落とすような事があれば…」
「やればいい、私が消えればこの結界も消える」
ぴたりと止まった手に、彼女はこの場にあって穏やかな笑みを浮かべた。
「出来るわけないわね。優しい騎士様。
あなたは一度でも心を許した相手に手をかける事なんて出来やしない」
全て計算ずくだとばかりに微笑んで、それが嘲笑に変わった。
「選べばどちらかが死ぬ…そんな選択を生ぬるい日々の中で生きてきたあなたに出来るのかしら」
私を選べば救えなかった無力感に襲われ、あの子を選べば私を殺した罪悪感に苛まれる。
例え、そこであの子を救おうとしている2人が私に手をかけたとしても、
幼い頃に姉と慕った相手を殺させたのは自分だという思いは残る。
“どれにしても私の勝ち”
「…愚かだな」
幼子を抱いた青年の呟きに彼女は反応した。
「何?」
「愚かだと言ったのだ。そこまで心を憎悪に染め上げてしまったら…もはや元には戻れぬぞ」
悪意に蝕まれたエルフの頂点に、望まずして立った彼は静かな怒りをたたえて言った。
「己の手を見るがいい」
「…っ!!」
言われるがままに、自らの手を見た彼女は声にならぬ悲鳴を上げた。
「あまりの憎しみに重要な事を忘れていたようだな」
この瞬間、彼女はエルフの女王である少女から、もう1人の王への影響下に置かれる事になった。
光導く女王から、闇を束ねる王へと…
「ここはエルディアでもフェルアでもない。だが、どちらでもないからこそ誰が動いても文句は言えぬ」
女から引き離した父親の手に幼子を委ね、彼はその前に立った。
「私にはどちらかを選べという選択は最初からない」
その身から発せられる威圧的な気配に彼女はたじろいだ。
「迷うような甘さがないからな」
掴んだ腕に一瞬パシッと音がなる。
「あ…」
崩れ落ちる身体には傷はないが、その瞳にもはや光はなかった。
行使した力は…“死”
望まなかったからこそ、望んでなる存在に対して、彼はこの上もなく冷酷だった。
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