■ 昔名残 ■


「ねぇねぇ、サーラ」
「はい、何でしょう?」
 ひょいひょいと手招きされて、私はフレイア様の机に近づいた。
「これ、あなたの生まれたとこだよね」
 渡された紙に書かれていた名前。それは紛れもなく私の故郷。
「…えぇ、そうですが…」
「私。それ読んでも話がよくわからないの、説明して」
 にっこりと笑って楽しそうに目を輝かせて…“分からない”にかこつけて、昔話を聞こうって魂胆ですかね。

 ところが、書類を始めから読んでみると、確かに事情を知らないと分からないと思われる部分が多く。
 予想外の事で、思わず視線を送った私に、フレイア様は身を乗り出して言った。
「おばあ様と何か約束したみたいなんだけど、内容は全然書かれてないでしょ?」
「えぇ…ですが、私もエルアラ様の交わした正確な約束までは知りませんよ」
「いいのいいの。何で、マイラタがうちの統治下に入ったかってのが分かれば」
「…それなら知ってますが…」
 どう考えてもそれ以外の事を聞かれそうな予感をひしひしと感じつつ、私は近くにある長椅子に座り、
 フレイア様も隣に座って、まるでおとぎばなしが始まるのを今か今かと待ち望むように、私を見上げた。
「そもそもの原因は、マイラタに世継ぎが誰もいなくなった事なんですよ」

 当時のマイラタには、かつてのグラフノーンと同様に姫君が一人いるのみ。
 当然、どこかから婿に迎えて…という話が持ち上がったものの、マイラタはエルヒュリアとの交流が盛んな地。
 それならいっそ両方の血を結び付けてしまおうと考えたのが、その父王。
 ところが、それを知ってしまった姫が、当時の騎士団長と手に手を取り合って逃げてしまったわけで…

「もしかして…相手ってファエル?」
「いいえ、これは我々が生まれる前の話ですので、おそらく彼の父君でしょう」

 もちろん、父王は必死で探しましたが、やけになってたんでしょう。
 見つけたら、騎士団長はその場で殺してしまえと命令していたのです。

「えぇえ!?ひどいっ」
 怒りをあらわにして拳を振り回す彼女に、私は苦笑い。
「でもですね、王がそうやって言うのにも訳があるんですよ」

 騎士の奪ったマイラタの宝は2つ。
 1つは共に逃げた姫。そして、もう1つは代々伝わる宝剣。
 どちらか1つなら、感情的にまだ諦めもつくものを、彼は2つとも奪ってしまったので。

「それで、2人は見つかったの?」
「いいえ。見つかっていたら“誰もいなくなった”なんてことにはなってませんよ」
「あ、そうか…」

 王夫妻は失意のうちに精霊となり、残されたのは治める者のいないマイラタの地。
 いなくなった姫君が戻ってくる事を信じて、しばらくの間はそのままになっていたのですが、国内は徐々に乱れ…
 そこで期限をつけて、エルアラ様に統治を願おうと言う事になったのです。

「この紙にある“お約束通り、正式にこの地をお譲りします”っていうのは…つまり」
「期限を過ぎても姫君なり、その子孫なりが現れなければ、正式な領土とする事を約束してたのでしょうね」
「じゃぁ、今まではエルディアの中にあって、エルディアじゃなかったってことなんだ」
 ふんふんと納得している彼女に大きく頷いて、私は言った。
「あなたにお見せしたあの祭り。あの時初めてご覧になったでしょう?」
「うん」
「あれは、マイラタ独特の祭りなんですよ」
 他にもあの地に刻まれている数々の名残。
 目を閉じると、エルアラ様に「どうして、自ら統治しなかったのですか?」と訊ねた日の事が思い浮かんだ。

『私が直接手を出してしまったら、きっとマイラタはまるで違うものになってしまってたわ。
 そうなったら、悲しく思う人がいるかもしれない…
 変えていく事も大事かもしれないけれど、出来る限り、戻りやすいように保つ事も大事なのよ』
 そう言って、優しく微笑んでくださった時、私は初めてこの国の騎士になってよかったと心から思った。

 それに、すぐそばにいる女性もエルアラ様と同じ思いを持っていた。
「…ねぇ。もう可能性はないのかな?もし、もしもだよ。私が今まで通りそのままでいいって言ったら…」
「いいえ。それではいつまで経っても、戻ってくるかどうか分からぬものを待ちつづけなければなりません。
 何事もけじめと言うものが必要です」
「でも…」
 まだ何か言いたげな彼女を制して、私は続けた。
「これだけ長い年月が経ったのに現れないと言う事は、今後現れる事もないでしょう。
 それに、あなたみたいに我々の思いを大事に汲んでくださる方に導かれるのであれば…
 例え、戻る事は出来ずとも、姫君や騎士、それに今どこかで生まれているかもしれない子供もきっと幸せでしょう」
 私を黙って見つめていたフレイア様は、しばらくしてゆっくり頷いた。
「分かった。私なりに…やってみる」
「ありがとうございます…」
 思わず口をついた言葉に、彼女は照れ笑いをして、ぺたぺたと私の腕を叩いた。
「そんな事言わなくたっていいの。だって、あなたにも手伝ってもらうんだから」


 逃げ延びた姫君と騎士団長。
 その後の2人がどうなったかということを、当人以外で知るものはほとんどいない。
 けれど、エルヒュリアの王はなぜか知っていた。

「なぁ…君の母上って私の父を嫌って逃げたって本当かい」




例の地光竜の剣…何故“彼”の家にあったかというと、こういうわけです(苦笑
騎士団に入る前から非常に高いレベルの技量を持っていたのも、父親から徹底的に仕込まれたため。
彼の父親は本当のところ、サーラにマイラタの継承者として名乗りを挙げてもらいたかったんですよね。
だからこそ、その時が来ても誰にも文句を言わせないように、教えられる事は全部教えたという経緯。
父親が、サーラとトラップの結婚を後から知って、
「エルディアと縁が切れん様になってしまったか…」と言ったのは、思惑が外れてしまったという思いから。
(母親は“息子が望むなら構わない”と思う程度だったようですが)

逃げられた方と逃げた方、双方の息子が幼馴染で親友同士というのも笑える話ですね(

ちなみに“精霊になる”という表現ですが、彼らエルフは寿命がない代わりに、
自ら肉体を放棄して、世界を構築している精霊になる場合が多々あります。
永遠とも言える長い年月を過ごすうちに、悟り切ってしまうわけですが、これをただの死と表すには何かが違うし、
その人が長年作り上げた人格の死と表現すれば、その通りと…

Back