呼ばれたもの


 地獄の番犬。
 この言葉を聞いて人はどのような生き物を思い浮かべるでしょうか?

 闇夜のような黒い身体に鋼をも切り裂く強靭な爪を持つ、世にも凶悪な魔犬。
 炎を吐くその口は耳元まで裂け、鋭く尖った牙を覗かせる。

 まさに番犬の名が相応しい、見ただけでも相手を畏怖させる外見の持ち主――を思い浮かべる人がほとんどだと思います。
 けれども、全てが全て同じ形をしているとは限らないわけで……
 どこの世界でもいる規格外の存在、私もそんな一匹でした。


  *


「さぁ、きょうも無事終わった」
 昼のない、寝ても覚めても暗闇という世界でこんな声が聞こえたなら、それは仕事の始まりを告げる合図。
 帰って来た主にしっぽを振ってまとわりつき、可愛く吠えてその周囲を駆け回り始めます。この時に一番注意しているのは、巨大な足から絶え間なく噴き出す黒い炎にぶつからないようにすることです。
 主の炎は攻撃から身を守る鎧であり、敵を燃やし尽くす武器。
 同じ魔界の生き物とは言え、武器としてしか使えない私の炎とは格が違うというもの。
 特に帰ってきて間もない時などは、まだ気も高ぶっているのか主の全身を覆う黒い炎も勢いが激しく、私のような者は軽々と宙へ弾き飛ばされてしまうのです。
 下手をすれば、大怪我を負ってしまいかねませんしね。

 格が違うと言えば、主は冒険者などと出会うと必ず先制攻撃を許しています。
 それは食事の下ごしらえのためで、渾身の一撃がまるで効かなかった時の絶望、確実にもたらされるであろう死への恐怖とで調理された魂というものは言い知れぬほどの美味なのだとか。
 しかし、おいしい食事をとるためとはいえ、相手の刃をあえて無防備に受けるなんてことは私には怖くて出来ません。
 何とか心を奮い立たせて試してみたとしても、ごちそうにありつくまでにこちらの命があるかどうか。
 私の主食が炎や肉でよかったとつくづく思います。

「今日の相手は魔法使いの割にしぶとかった」
「まぁ、杖や指輪が砕けた途端に諦めおったがな。いくら装備がよくとも壊れたら終わりだな」

 機嫌よく語る主の足に少し距離を取りつつまとわりつくことしばし、ようやく準備が終わったようです。
 炎もうっすらと身を覆うほどに弱めた主は、私の前に膝をつき手を伸ばして――

「やっと抱っこ出来ましゅねーっ!」

 抱き上げるこの瞬間、毎回脱力しそうなのをこらえます。

 死と破壊の運び手
 魔界の殺戮者
 残酷なりし宵闇の王

 いくつもの名を人界・魔界共に轟かせているのに……
 主の手となり足となり、魔族の栄華を求める者たちが今のこの姿を知ったなら、何と思うことでしょう。

「このもこもこふかふかがいい。実に癒される」
 他の魔獣はどれも似たようなものだからなぁと、主は私にほお擦りします。
 本来ならベルベットのような艶やかな毛皮を持つ種族なのに、私のそれはふさふさとしています。色も茶に白が混ざっているという黒一色のはずであるヘルハウンドにはあるまじき配色。その上、背には何故か妙に小さい羽まで生えていて……もちろん他の仲間には羽なんてありません。
 いえ、それだけならまだいいのです。
 一番問題なのは、人から見て愛らしいと思われるらしいこの顔。
 番犬のくせに番犬にはなれないな、と笑い者にされています。
 弱肉強食のこの世界、番犬と呼ばれ畏怖されるはずの私が、ただの愛玩動物に成り下がらなくてはならないこの悔しさ――
 この主に不満があるというわけではないのですが、出来る事なら本性を露に魔物らしく生きてみたい。 

 あぁ、誰か。私を人界へと呼び出してくれる魔術師が現れないものでしょうか。
 もし召喚されたなら支配から抜けだして、この姿で人々を騙して暮らすことも可能なのに。
 ――ただ与えられるだけではなく、自分で努力して勝ち取る喜び。
 苦労も多いでしょうが、憧れはつきません。
 とはいえ、偶然呼ばれるにしても真名を掴まれ呼び出されるにしても、呼び出そうとする人間自体が多くはない以上、そううまく呼ばれるわけはないのでしょうけれど。


  *


 そんな、厳つい顔にほお擦りをされる日々がどれだけ続いたことでしょう。
 とうとう望んだ時がやってきました。
 主がいつものように人間狩りに出かけて数時経った頃、今までにない……例えるならそう、体が上と下から同時に引っ張られているような感覚がしました。
 そのままどちらの力も強くなっていたら私はお腹のあたりで半分ことなっていたでしょうが、幸いにも下方向の力が徐々に弱まり、それが完全に失せた次の瞬間にはまるで別な場所にいたのです。

 人界のどこかでしょうか。赤でも黒でもない、茶色い壁に天井。
 金属製と思われる白い箱がいくつかあり、それを背に一人の女が立っています。
 紫と白のエプロンドレスに金の髪、ほっそりとした身体に顔の各部品も無難なところに納まっていて、容姿はいいと言えるでしょう。
 一つだけ気にかかると言えば、この女がエルフ族であることですか。
 闇に堕ちたエルフに呼ばれた仲間の話なら聞いたこともありましたが、普通のエルフに呼ばれた例は耳にしたこともありません。
 何らかの方法でエルフに身をやつしているとも考えられますが、部屋にいるのは私たち1人と1匹のみ。加えて、エルフの足元に召喚物から身を守るための防護陣が描かれていることから、この女が召喚者であることは間違いないようです。
 とりあえず、普通のエルフだと思うことにして、詮索は後回しにしましょう。
 今一番の問題はどうやって支配から脱するかです。

 召喚、条件提示、個体の固着と契約、召喚陣からの開放。

 知識として持っている召喚の手順を考えると今はまだ一番最初の段階。
 自動的に返還されなくなる『固着』が済むまでの間、せいぜい不興を買わぬよう気をつけなくては。せっかく呼ばれたものが無駄になってしまいます。
 それにしてもこのエルフは何が目的で私を呼んだのでしょう?
 先ほどからじっと私を見つめるだけで一言も言葉を発してませんよ。
 早く、望みを仰って欲しいものです。

「失敗しましたわ。これじゃ可愛すぎますの」

 第一声を期待していた私は、そのあまりにも予想外の言葉にただただ呆然とするしかありませんでした。
「可愛い名前の子をと思ったら、顔まで可愛らしいなんて。まぁ、耳まで垂れて……」
 エルフはそう言いながら転移陣に入ってくると、ピンと立たない耳やふかふかだと気に入られていた毛に触れてきます。魔族だということを一切気にしていないような無防備さです。
 いくら召喚者とはいえ――この世界で暮らしたいとはいえ、ここまであなどられては黙ってられません。
 私は可能な限りエルフから遠ざかるよう魔法陣の端へと飛び退き、低く構えました。
「ガルルルルルル……」
 歯を剥き出しにして威嚇しているのにも関わらず、エルフが再び近寄ってきます。それもあごの下に手をやって……撫でるのかと思えば私の顔をくいっと持ち上げて言ったのです。
「歯も綺麗に並んでますわね。番犬は無理でもマスコットにはなりますかしら」
『マス、コット?』

 それでは魔界にいた時と全然変わらないじゃないですか!

「あら、一応お話も出来ますのね。お使いにもいいかもしれませんわ」
 賢いわんこですわねと頭を撫でられて、私は襲い掛かる気もなくなってきました。
「人に怖がられそうにないし、賢いし、やっぱりお使いが一番ですわ」
 自分でも外見を利用して人を騙そうなどと考えてましたが、こうやって口にされてしまうとやはり胸に突き刺さります。
 ましてや、お使いが一番だなんて……
 うなだれる私の姿を、了承の意と受け取ったのでしょうか。エルフは私を抱えあげて言いました。
「名前は――あなた、シェルティって犬とそっくりですものね。それなら真名を取り入れて、シェル・ヘル・ティリィ。私たちの言葉で“一番空に近い道”という意味ですのよ。小さい羽もあるし、とってもお似合いだと思いますわ」
『一番空に……』
 魔界にいた頃は「それがないと魔族には見えないな」と、皮肉の材料にしか使われなかった羽。パタパタと、思わず羽ばたかせてしまったのを慌てて止めました。
 名が与えられたことでこの世界への固着も済みましたし、今ここで襲ってしまえば――
 防御陣から出てきた以上、それが一番手っ取り早い方法です。
 …なのですが、
「普段はシェヘリィって短くするといいですわね。シェルでもリィでも可愛らしく呼べますわ」
 エルフの一言一言に気がふしゅるしゅると抜けていきます。
 本当に緊張感の欠片もありません。まさか狙ってやっていることなのでしょうか。
『変な名前……』
「可愛いですわよ。この肉球と同じくらいに」

 ぷにぷにぷにぷに……

 前足を掴んだエルフは楽しげに肉球を押し始めました。
『変です。とても変です!肉球だって可愛くありません』
 エルフに抗議するも、あちらは肉球を押すのに夢中で聞く耳を持ちません。
「ぷにぷにですわー」
 って、このままでは話が進みません。
 無心に肉球を押し続けるエルフに、私は決まり文句とも言うべき言葉を告げることにしました。
 本来なら、防護陣からのこのこ出てくるような相手に言うようなものではないのですが……気もそがれてしまいましたしね。

『召喚主よ』
「はい?」
 手をぴたりと止め、私の顔を覗き込んでくるエルフの瞳は子供のように輝いています。私がこのまま支配されるとでも思っているのでしょうか。
『我々は呼ばれたからと言って、そうやすやすと膝を屈するわけには行かぬ』
「それはつまり、勝負ですわね」
『その通り』
 意外なほど早い理解に驚きながら頷くと、エルフはにっこりと笑い私を床に降ろしました。
「てっきり、使わないままになるのかと思いましたわ。でも、しっかり準備しておいてよかったですわね」
 そう言って、ドレスの長い裾をまくりあげて取り出したのは、ピンク色をしたやたらと派手な杖。
 しかも、それを持つ手をよくよく見てみれば、赤真珠の指輪がはまっていて――

 魔界の主が言っておりました。
「杖や指輪を持った魔法使いはしぶとい」と。
 あの主ですらてこずるような相手に、私がどうして勝てましょう。
「一気に決めますわよ」
 “待って”と言う暇さえありません。
 振り上げられた手は二言程度の詠唱を終えて、私へと向けられました。




人界、もといPHI世界に出てきてすぐのわんこ。
魔法使いなのにスペル装備が大嫌い。
「しっぽ振って何かもらおう」がPHI世界でのこの子の基本ですが、得られるのはご飯とおもちゃばかり……

あるでぃんを誕生させた時に、彼女の路線として考えていた性格だったり(笑

Back