夢の始まり


 深く、どこまでも落ちていきそうな暗闇の中で、夢を見た。
 目の前にかざした己の手すら見えない、そんな場所で一点の光が見える。
 いや、光では無い。

 闇の中にただ1人佇む少女。

 “誰だ…?”

 言葉に出す間もなく、少女の口が開く。
 走る衝撃―その瞬間、形になりきれぬ何かが現れた。

 そよとも感じられないのに、風に吹かれるかのように流れる金糸。
 色の持つ暖かみとは、趣を全く異にする冷たい緑石。
『おもしれぇ。昔懐かしの亡霊ってやつか』
 呟く男の前でゆらゆらと揺らぐのは過去。今は捨ててしまったはずの自分。

 そして、今一度乗り越えなければならない相手。

 決別した時からの相棒―剣を手に男は、愛しさと、憎しみを込めて、その名を呼んだ。
『オレとお前。どっちが残るのか…始めようぜ』

 どちらが上で下なのかも分からない、常に変わりつづけている様にも感じる空間で、男は“過去”目掛けて剣を振るった。
 一面の漆黒に剣が閃き、切り口から放たれる光が照り返されるたびに、男の太刀筋は鋭くなって行く。
 まるで、斬るごとに失われた力を吸い込むかのように…

『これで終わりだ!』

 ズドンという音。
 実体があって無きに等しいものに剣がつきたてられ、波紋の様にその場に広がっていく―空虚な程に響いた音。
 しかし、男と目を合わせた少女は、それがまるで至上の音楽であったかのようにふわりと笑う。

 ともる光。
 視界を埋め尽くす白。

 そうして、彼は目を覚ました。


   *


 長く伸びた廊下をボケた顔で歩きつつ、がりがりと頭をかく彼の名は、ソルティー=ドッグ。
 もちろん実名ではなく、一説には酒好きが高じてつけた名前だとも言われているが、その由来は実名と同じく知る者が少ない。
 長身揃いな種族の中でも、飛びぬけて長身の彼がまとうのは黒い鎧と白いマント。
 濃紺の髪は彼らエルフでは珍しい事に短く切られ、襟足が肩口に届こうかというぐらい。空色の瞳は鋭く澄んで、相貌の凛々しさを際立てている…はずだが、今朝は夢見が妙だったためか少し溶けている。
 役職としては、エルフの王国エルディアに2人いる副騎士団長で、性格はもう1人の副団長の言うに“単細胞力馬鹿”
「嫌な事は一晩寝れば忘れる。下手をすれば3歩で忘れる鳥頭」とも称される通り、自分にとって良くない事はすぐにでも忘れる。
 そんな彼が、普段なら真っ先に訓練へ行くものを、ふらふらと頼りなげに廊下を歩いたり、何故かバルコニーへと出ていく。常ならぬ様に誰もが不安にかられ、怪訝な視線で彼を見送った。

 ―ただ、1人の例外を除いて。

「おらっ!どうした!シケた背中しやがってさ!」
 声が早いか衝撃が早いか、背後からど突かれたソルティーは、前のめりに倒れこみそうになるのを何とかこらえ、誰にやられたのかもすぐに理解した。
 ソルティーの体格の良さは人間の戦士と並べても遜色はないし、そもそも副団長である彼をいきなりど突くような者は、この国にも数えるほどしかいない。それに加えて、相手の声は口調の割には音が高く、加えられた力は位置からして足によるものではないだろうし、もちろん魔法でもない。
 並々外れた腕力の一撃でもって、彼のバランスをこんな風に崩した女性。となれば、辿りつくのはたった1人しかいなかった。きっと大陸中…いや、この世界中探しまわっても、それは変わらないだろう。
 振り返った彼は、思った通りの人物を認めて、溜息の代わりに苦笑いを浮かべた。
「お前なぁ…挨拶代わりに殴るのはよせって」
「あぁ、分かった。んじゃ次からは蹴るな」
 にたりと笑う女性…一見すると、生きのいい少年にしか見えない彼女は、騎士団長で女王の夫でもあるという、何とも不思議な立場な兄を持っている。もちろん、それに寄りかかっての行動ではないのだが、ソルティーが預かる団に所属しているのにも関わらず、一切の遠慮が無い。
「普通に“おはようございます”とか言えねーのか、お前は」
 頭を抱え込まれてうりうりと小突かれ、腕力で引き離すことの叶わない彼女は、ソルティーのつま先1センチ程を靴底の硬いブーツのカカトで思いっきり踏みつけた。
 声にならない悲鳴を上げ、言葉通り飛び上がって痛がる彼は、自分の瞳より幾分深い色合いの青に楽しげな色が浮かんでいるのを見て、内心叫んだ。

 “余計な所ばかり兄貴に似やがって!”

 彼が今現在、どういう日々を送っているか…この言葉で想像が難くない。
「フループ…お前なぁ」
 普段は攻撃を受けない場所であるために少し遅れたものの、痛みから立ち直ったソルティーは、彼女―フループ・N・ラーディに、少々の不機嫌を織り交ぜながら尋ねた。
「オレをへこましに来たのか?」
「んにゃ。別に」
 思わず安堵するソルティー。だが、次の言葉には一瞬耳を疑った。
「でも、でかいのがしょぼくれてると、イライラするな。でかいくせに」
「…オレがでかいのは、オレのせいじゃないぞ!」
 “フレイも含めて、みんな背が高いのだから、きっとそんな家系なんだろう”と、ソルティーは従兄妹たちの姿を頭に浮かべて思う。
 この言葉にフループが頷き、そこに隠された真実を誰かが知ってしまうと多いに困るから、口にはしない。何と言っても、一部しか知らない、彼にとって最大級の秘密が絡んでいる。
 ソルティーの秘密…それは、この国の女王の従兄であるという事。知られてしまえば、必然的に自分が先代風の申し子“エスナメルティ=ファーランド”だと分かってしまうからだ。

『瞬きもせずに嵐を収める』
『指先1つで竜をも倒す力を持つ』
『あまりに強い力だったために、この世より去った』
『いや、今もどこかでこの世界を救うために戦っている』
 などなど…

 急に姿を消したという事で、恐ろしいほどに尾鰭のつきまくった“エスナメルティ=ファーランド”の伝説。姿を変えてはいるが、ずっとエルディアにいる彼はそれを聞くたびに、今の自分をよく知るものには“絶対に知られたくない”という思いが強くなるばかりだ。
 実際、そうせざるを得なくて従弟たちに教えた時には、嘘だと即断されたし、本当だと分かったら分かったで、一切を押し付けた恨み言を言われ、今でも、その事を口にすると多少なりとも恨みがましい視線が返ってくる始末。
 そういったわけで、知っている相手にも記憶を呼び起こして欲しくないソルティーは、複雑な本音をしっかりしまいこんで、差し障りのない言葉を返した。
「大体、お前だって女にしちゃでかいだろ」
「まぁなぁ…兄貴もやたらでかいしな」
 ひーふーみーと数え始めた彼女に、ソルティーは“やれやれ、色々厄介な奴だな”と心の中でひとりごちた。
 フループと話していると、知識と記憶に裏づけされた本来の姿が自分の中から出てきて、鋭く切り返してみたくなることが多々あった。けれど、そうしてしまったらもう1人の副団長が言うような、長年自分が作り上げてきたイメージが、崩れてしまいそうなのだから悩ましい。“副団長ソルティー=ドッグ”はあくまでも“腕力任せの単細胞”でなくてはならず。かと言って、あまりに弄られるのは彼にとっては趣味ではなく…全くもって扱い難い事この上ない。

「なぁ」
 何故か何度も数えていたフループが、ソルティーを見上げた。何か面白い事に気づいたのか、その目には楽しげな…
 ただ声をかけられただけなのだが、先程踏みつけられた足の痛みがぶり返してきて、思わず身構えるソルティー。怯えるような彼の仕草に、フループは「別に悪い事じゃないって」と手を振った。
「兄貴と陛下。お前とオレ、身長差同じなんだなって思ったんだ」
 言われてみればと、彼も挙げられた4人の身長を思い出し、確かにそれぐらいだと頷いた。
 数値上で高いと思った従妹の身長が、目の前にいる勇ましい女とほぼ同じだと考えれば、余計に高く感じる。だが、実際に従妹を前にしても、全く高いとは感じないどころか、彼にとってはどこまでも小さく可愛い従妹だったりする。
 それなら何故、フループが必要以上に高く見えるのか。
 “やっぱなぁ…”
 聞こえないようにそっと溜息をついたソルティーは、自分の発見に頷くフループから原因を探し始めた。
 渋みのある深い茶色をした髪は腰まで伸ばしたものを一まとめにしているが、束を解けばそれなりには綺麗に見えるはず。標準のエルフ女性からすれば間違いなく太い腕も、自分に比べれば細い―これでもし太ければ、彼女の兄が「今すぐ騎士団を辞めろ」と言い出すこと間違いないが。
 何度もフループを見やったソルティーは、“胸が全くないのが問題なんだな”と、『口にした日には血を見る』ことになる結論を導き出した。
 そんな結論を出したところで、フループが再び「なぁ」と声をかけた。
 考えが筒抜けだったのかと、ソルティーは一瞬びくりとしたが、彼女はそんな彼に頓着なく続けた。
「元気出たか?」
 目をしばたたかせた彼は、自分にまとわりついていた気だるさの残滓が、いつの間にか消え去っていることに気づいた。
「あ…あぁ」
「じゃ、訓練付き合ってくれな」
 ぽんと肩を叩かれて、ソルティーはまだ少し呆然とした表情をしていたが、しばらくしてその言葉の意味に納得した。
 “そうか。こいつなりに盛り上げてくれたわけか”
 今も、元気になったならそれでいいや、と言わんばかりに理由を聞こうとしない。そんなさっぱりした気性は彼の好むところだ。
 夢見の悪さも吹き飛び、上機嫌になった彼は瞳にいつもの鋭さを取り戻すと、マントをばさりと翻した。
「いいぜ。今日はどっちでやるんだ」
 この日初めての不敵な笑いを残し、訓練所へと向かうソルティーの背中を追って、フループが声をかけた。
「槍だ槍っ!今日こそオレの新技食らわせてやるからなっ!」
「そう簡単には食らってやらねーよ」

 豪快な笑いを返すソルティーと「絶対に食らわす!」と息巻くフループの声が、徐々に遠ざかって行くバルコニー。
 そこにゆらりと1つの影が現れ、緩やかな弧を描いた赤い唇で言葉をつむぎだした。

『待っている…夢の世界で…』




某プロローグみたいな感じで書いてみましたが、いかがでしょう?
いや、元ネタみないと何がなんだかという雰囲気ですが、前々から書いてみたいという欲求がありまして、とうとう手が…
「名前が塩」だの「自称戦士の魔法使い」だの「陣形変えなきゃ串刺し」だのと言われ、
すっかりいじられキャラになってしまった彼のイメージアップ作品です(PLが私である限り、意味なさそうだ
ちなみに、置き場所をどこにするかで迷ってます(笑

4/26:Dエリアからリンク

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